Ohanaインタビュー:瀬田譲二さん

父親の顔すら知らず育った少年が素直と謙虚さでつかんだ成功

セントラルパシフィックバンク インターナショナルバンキング
シニアバイスプレジデント 瀬田譲二(Seta Jyoji)さん

第一の転機はハワイを選んだこと

番組中、何度も「イケメンですね、ハンサムですね。」と言われ、終始照れていらした瀬田さんは、お父様はポーランド系のアメリカ人、そしてお母様が日本人というハーフ。

瀬田さんが生まれたのは1950年、当時は朝鮮戦争が起こった激動の時代、お父様の顔を知らずに育ちます。

ただ東京下町の生まれの瀬田さんはお母様お祖母様、親せきの方たちはもちろん、近所の方たちにまで可愛がられ、下町の人情の中で育てられました。

そんな瀬田さんは、日本で高校を卒業。当時お母様がハワイの日系2世の男性と再婚していたこともあり、ハワイへ。

ハワイへ渡ったことが、瀬田さんの第一の転機になりました。

「ハワイに来たことは大きな転機でしたね。良いところを褒めるというアメリカ式、ハワイ式の雰囲気の中で、自分に自信がついたし変わったと思いますよ。明るくなりましたしね。」と瀬田さん。

その後ハワイ大学へ進んだ瀬田さんは、数学を専攻しながら、時給が1ドル50セントのアルバイトもしたそうです。

「この頃、コンピューターがやっと出てきた時代でね、プログラミングとかね、そんなことをしていましたね。」

バンクオブハワイに入社、32年間のサラリーマン生活で貫いたこと

瀬田さんは、卒業後はコンピューター関係の仕事がしたいと、当時募集があったバンクオブハワイに入社します。

この時期が瀬田さんの第二の転機になりました。

「お給料は月に$425でしたね。1時間じゃなくて月ですよ。極度に安いですよね、でも食べていけましたからね。」と笑う瀬田さん。

ここからバンクオブハワイで32年。シニアバイスプレジデントにまで上り詰めた瀬田さんに、サラリーマンとして成功するための鍵、上司にも可愛がってもらえるコツをお聞きすると、

成功の鍵は、素直さと真摯なまでの謙虚さ

「私は素直でしたよ。何でもはい、と素直に返事をしてね、裏で悪口を言ったりは絶対しなかったしね。上を立てる、ということも大事ですね。」

と瀬田さん。素直に、正直に人に接するということ、高校生まで日本で過ごした瀬田さんにしっかりと身についた日本人としての真摯な謙虚さが、ハワイでの成功の鍵だったようです。

32年間という長い年月を素直さと謙虚さをモットーに、バンクオブハワイで働いてきた瀬田さんですが、第3の転機はこのあとにやってきました。

当時、銀行の立て直しに必死になっていたセントラル・パシフィックバンクへ移ったのです。

混乱の中にいた瀬田さんですが、やはりバンクオブハワイで働いてきた時と同じように、素直で謙虚に、当時のリーダー、ジョン・ディーン氏と共に銀行再建に尽力します。追い込まれた状態でのスタートであったにもかかわらず、ここでも瀬田さんは銀行の再建までの努力を続けました。

現在は、インターナショナルバンキング・シニアバイスプレジデントとして活躍していらっしゃいます。

そんな瀬田さんに今後の夢をお聞きすると・・・

「今まで色々な方たちに助けられました。子どもの時からずっと、本当に。だからこれからは、色々な場面で、様々なことをサポートしていける自分になりたいですね。感謝をこめてね。」とのこと。

人情にあふれた東京、下町で育ち、ハワイでたくさんのアロハに支えられ生きた瀬田さんは、今多くの方たちへの感謝を胸に生きていらっしゃいます

今後の活躍がますます楽しみな、お顔もハートも「イケメン」の瀬田さんでした。

インタビュー、文
Norie Green ノリエ・グリーン

瀬田譲二さんのラジオインタビュー、「My Story : 人生の転機と成功への鍵」は、ここをクリック