ストリーミング方法はこちら kzooradio.com

Ohanaインタビュー:星野明夫さん

地元を愛することで生まれる成功と喜び
前日本ハワイ旅行業協会 会長 星野 明夫さん 

4回目のゲストは、生涯を旅行業にかけた星野 明夫さんです。

さっそく人生における星野さんの転機についてお聞きすると、まずは大学時代のことについて穏やかな笑顔でお話し下さいました。

「大学では、ホテル研究会というクラブに所属していたんです。その頃から将来はサービス業につきたいという夢はありましたね。夏には軽井沢の高級リゾートホテルで、アルバイトもしたんですよ。」と星野さん。

名門、晴山ホテルでは作家の川端康成氏、当時外務大臣であり後の大平総理など、そうそうたるVIPをご案内したりもしたそうで「駆け出しのベルボーイでしたよ。」とはおっしゃるものの、すでにサービス業へのセンスと心配りを持たれ、将来への頭角を現していたようです。

「波乱万丈の人生だと言えますね。転機はたくさんありましたが、まずは大学時代に1年間休学をし、ヨーロッパへの無銭旅行をしたことですね。」

これが星野さんの人生最初の転機だったとのことです。9か月の間、ロンドンで英語を学び、その後は2か月間バックパッカーとしてヨーロッパへ。時にフランスパンとバターだけの食事を公園で食べることもあったそうです。

そんな星野さんは、1年後に帰国した時には、英検の2級を楽にパスするまでの英語力がついていたそうで、英語力ゼロからここまできたことへの自信にもつながったそうです。

人生最大の転機は奥様との出会いと結婚

1年間の海外での体験は、星野さんに旅行業につきたい、という決意をつけてくれるものでもあったようで、卒業後は第一希望だった「Jalpak(ジャルパック)」へ入社、そしてその後星野さんが「人生最大の転機」という2度目の転機が訪れます。

「今の妻との出会い、結婚が最大の転機ですね。この人と一生をともにしても後悔しない、と確信が持てる人でした。人生の中でそんな女性に出会えたことは幸せでしたね。」と優しい目で話される星野さん。素敵なご家庭が想像でき、インタビューをしていた私まで温かい気持ちにさせてもらえました。

奥様の支えもあり、星野さんは結婚後、とにかく仕事に打ち込みます。

そんな中、完全な仕事人間だった星野さんは、人生3度目の転機を迎えるのです。

それはとても悲しいものでした。

どん底の悲しみの中から生まれた感謝の気持ち

結婚後、長女、長男、次女と子宝にも恵まれ順風満帆だった星野さん一家ですが、ある日2歳になる前の次女の様子がおかしいことに気が付きます。

病院での診断は脳腫瘍。小さな身体で大手術にも耐え、一時は完治かとも思ったそうですが、大事なお嬢様は天国へ旅立つという結果になってしまいます。

「治療中は、親としてできることは何でもしました。けれど、こんな結果になってしまった。私の人生感が変わりましたね。家庭人へもシフトしました。今、肉親を亡くした方たちへのアドバイスとして私が言えるのは、悲しいけれど、それが必ずいつか感謝に変わるよ、ということです。」

どん底の悲しみの中から、星野さんはお嬢さんに対して「生まれてきてくれてありがとう」という感謝の気持ちを生み、今も大事な人を失った方たちへの温かい愛情と励ましを送り続けています。

ニューヨークへの駐在で手にした地元を大事にする心

「その後、訪れたのが4度目の転機です。ジャルパックからJAL(ジャル)への出向でした。今までの環境と違い、ここではエリートを指導するという仕事に携わりました。この経験が5度目の転機にもつながったのかもしれないですね。」

と星野さん。そして5度目の転機となるのがニューヨークへの駐在でした。

5年間をニューヨークで過ごした星野さん。当時のことについて伺うと、現在の星野さんの仕事に対する姿勢と思いを感じさせていただけるような答えが返ってきました。

「駐在員というのは、だいたいが日本を見て仕事をするんですよ。日本が基準になるんですね。でも私は地域に根差した仕事をしようと思いました。現地の部下やビジネスパートナーを大事にする。ニューヨークでは自宅に社員などを招待し、パーティーなどもしていましたね。」と、あくまで地元への、そして現場への目線を外さずにいらした星野さん。

その姿勢は日本への帰国後も、そして2006年にジャルパックハワイのナンバー2としてハワイに移住された時も変わりませんでした。

星野さん自らが地元を愛し、ローカルの繋がりを大事にしながらの仕事。ハワイの旅行業界を牽引する活躍を見せていたころ、6番目の転機がやってきます。

2009年、JALの経営破綻。星野さんも退職を余儀なくされる状況になります。

けれどここでさらなる転機が。JTBハワイのホノルル支店長として迎えられたのです。

当時周りの方たちからは「経営破綻のあとにJTBへなど、本当に運が良いね。」と言われたそうす。けれどJAL退職の際に催された星野さんの送別会にはモアナサーフライダー、ロイヤルハワイアンなどハワイの一流ホテルの支配人たち全員が一同に会したとか。「運が良い」と言われるだけの今までの星野さんの真摯な仕事ぶりと、どれだけ地元企業に愛された人であるかがわかるエピソードです。

成功の鍵とは家族の支えと絆

その後、JTBへ移った星野さんですが地元を大事にする気持ちは全く変わることなく、前日本ハワイ旅行業協会の会長や、ホノルルフェスティバル財団の事務局長など、次々と重要な仕事を続けてこられています。

そんな大成功を収めた星野さんに、最期に成功の秘訣をお聞きしてみました。

「家族の支えと家族の絆です。家族がいたから仕事でも人生でも乗り越えることができました。」とキッパリ。だからこそ、今後は自然で平和な穏やかな人生を過ごしたいのだと言います。辛い時期も、悲しいことも乗り越えてきた、まさに波乱万丈な人生を送っている星野さんだから言える深い言葉だと思いました。

そして、星野さんのインタビューの中で常に「Face Local (フェイスローカル)」という言葉が出てきました。この言葉を聞いたことがなかった私ですが、「私が作った造語です。」と笑いながら教えてくれました。

常にフェイスローカル。地元に目を向ける、地元を愛し大事にすることで仕事の道は開けてくる、という、今回のインタビューで星野さんが教えてくれたこの言葉は、ハワイに暮らす私たち日本人全員への言葉であり、励ましの言葉でもありました。

インタビュー、文
Norie Green ノリエ・グリーン

星野明夫さんのラジオインタビュー、「My Story : 人生の転機と成功への鍵」は、ココをクリック