Ohanaインタビュー:クリスティーン久保田さん | KZOOハワイ

Ohanaインタビュー:クリスティーン久保田さん

「日本人を助けたい」30歳で弁護士を目指した情熱の女性
ハワイのバイリンガル女性弁護士としてのパイオニア的存在であるクリスティーン久保田さん。

つい数時間前に、日本からハワイに帰ってきたばかりというお忙しさの中、待ち合わせの場所に笑顔で現れて下さった久保田さん。

「今日はよろしくね。何をお話ししれば良いのかしら?」などどおっしゃいながら早速、私たちがインタビューをしやすいように席をすすめて下さった久保田さん。弁護士として相手の時間を一時も無駄にさせないというお仕事ぶりを、かいま見させていただきました。

1時間ほどのインタビューの間、終始笑顔。インタビュアーである私の方が何度笑わせられたか・・・。生き生きとお話しされる久保田さんは、相手をハッピーにさせてくれるほどの明るさの持ち主でした。

日本生まれ日本育ちのアメリカ人、特殊な環境でそだった子ども時代

久保田さんは、神奈川県横浜生まれの横浜育ち。当時、進駐軍として日本に来ていたマウイ島出身のアメリカ人のお父様と、日本人のお母様との間に生まれました。

フランス系のインターナショナルスクールに進み、日本にいながら、クラスにアジア人はたった2人だけという白人社会の中で育ちました。お父様とは英語、お母様とは日本語で会話し、完璧なバイリンガルとして育てられました。そんな特殊な環境で育った久保田さんがハワイへ戻ったのは17歳の時でした。

27歳でハワイへ。ハワイアンになるための努力

当時は外国で生まれた場合、27歳までにアメリカに戻らなくてはアメリカ国籍がはく奪されるという法律があったため、お父様の出身地であり、ご親戚もいたハワイへ。

シャミナード大学に入学し、国際関係学とアジアンスタディを学びました。

「私はね、楽しいことが好きなの。しかも色々なことをしてみたい好奇心でいっぱいでね。当時のインターナショナルマーケットプレイスでサンゴを売っていたこともあるし、着物を着てね、日本料理屋さんでバイトをしたこともあった。天ぷらをつまんで食べて叱られたわね。」

そんなお茶目で活発な、久保田さんの愉快なエピソードはここに書き尽くせないほど。そんな中、旅行社でツアーガイドもしたことで、ハワイの人たちを日本へ連れて行き、日本の良さを伝えることが楽しくてたまらなかったと言います。

人生の一大転機は、30歳で弁護士を目指したこと!

大学を卒業したあとも旅行社につとめていましたが、当時は日英両語を話せる人が少なかったことから、通訳をお願いされることが多く、裁判所の通訳をしたことが法律の道へ進むきっかけになったそうです。

「ハワイで日本人が騙されるケースが多かったんですけどね、日本人はいつも裁判に負けてしまうんです。どうして負け続けるのか理由を知りたくて弁護士の先生に尋ねたら『じゃあ、あなたが弁護士になりなさい。』って言われたのよ」と久保田さんはご自身の転機を語ってくれました。

「日本人が裁判に負け続けることが悔しかったのよね、日本人を助けたかった。負けるなら私が助けようって。」

30歳の一大決心。久保田さんはカリフォルニアのロースクールに進み、努力の末3年間で弁護士資格を取得。ハワイに戻ってきました。

その後、貿易の仕事を貿易について学んだり、不動産ライセンスを取得したりしながらハワイで弁護士として働き始めた久保田さん。

当時はバブルが崩壊した激動の時代。債券の取り立ての問題を解決したり、その後のセクハラ問題、2011年のあとは震災後の移住のこと、さらにはハワイでの不動産にからむ問題など、まさにハワイと日本でニュースになってきたことを、法律の前線で取り組み続けたことになります。

だからこそそんな久保田さんからの日本人へのメッセージは、重いものがあります。「ハワイでビジネスをしようとする日本人の方たちがよく言う言葉に『お任せします』と言うのがあります。違うんです。任せてはだめなんです。自分のことなんですから!英語ができなければ通訳をお願いすれば良い。人に任せず、自分で理解しなければいけません。」

そんな久保田さんの弁護士としての活躍がじわじわと認められ30歳を超えた遅いスタートだったにもかかわらず、今は「バイリンガル弁護士のパイオニア」「日本人の気持ちを本当にわかってくれる弁護士さん」など、数えきれないほどの日本人たちから称賛の声が上がるのは、久保田さん自身がハワイに来た頃に体験した苦労もあったから。

ハワイの人、になる努力を

「当時はハワイはまだまだ国際化には程遠かったですからね。私が日本から来たというだけで、もう信用してくれないんですよ。」

何とかハワイの人たちに認めてもらおうとピジョンイングリッシュ(ハワイ独特の方言、訛りのある独特な英語)を学び、田舎の人たちにはピジョンで話かけたりもしたそう。

「コミュニティに溶け込まなくては、と必死でしたよ。どうやったら仲間になれるかって。こちらの女性がしているように、長いつけまつ毛をつけてみたり、ルーズベルト高校卒業だと嘘をついてみたりもしました。」と冗談交じりに笑ってみせる久保田さんですが、そのご苦労は計り知れません。

アメリカ人でありながら日本育ちの久保田さんにとって、ハワイという異国での辛い経験を通して、人の気持ちがわかる弁護士さんになり、何よりも、人の辛い思いがわかる久保田さんでいらっしゃるのだと感じました。

そんな久保田さんは、ホノルル日本人商工会議所の会頭をつとめ、日本文化センター、ハワイ日系人連合協会の会長など驚くほどの役職を経験され、日本とハワイのために尽くしてきた結果、昨年は日系移民150周年の行事で秋篠宮様をご案内する大役も引き受けたと言います。

そんな中、日本語も話せない6世、7世になる日系人の方たちからも「日本人で良かった」「私は日本人です。」との声を聞いた久保田さん。日本人としての誇りや謙虚さ、義理や人情の大切さを伝えていきたいと話してくれました。

だからこそ、これからの久保田さんの夢は日本人がハワイに溶けこみ、本当の意味でコミュニティのメンバーになれるお手伝いをすることなのだそうです。

成功の鍵はパッションを持つこと。情熱こそ全て。

最後に久保田さんの成功の鍵をお聞きしてみると、

「パッションがあること!どんなことにも情熱を持って取り組むことです。新しいことを始める時は、怖いこともあるし不安もある。でも情熱があれば、熱意があれば乗り越えられると思います。」ときっぱり。

楽しいことが大好きで、お茶目な久保田さんは、その持ち前の明るさと情熱で日本とハワイを生き抜いてこられました。きっとその情熱が、これからの日本とハワイの絆をさらに強いものになるお手伝いを続けられるのだと思います。

「私のアイデンティティは半分づつ。アメリカ人であり日本人です。」そう言った久保田さんの、前向きに進む強い情熱と、努力を続ける静かな情熱。アメリカと日本のそれぞれの情熱を感じさせていただけるインタビューでした。

インタビュー、文
Norie Green ノリエ・グリーン

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